彼のインスタのストーリーが更新されるのは、だいたい夜の10時から11時の間だった。
投稿は週2〜3回、月曜か木曜が多い。いいねをする相手はだいたい決まっていて、上位5人の顔と名前なら言える。これを意図的に調べたわけじゃない。気がついたら覚えていた。
「依存してるな」と認めたのは、友人に「最近顔色悪いよ」と言われた夜のこと。「彼が今日ストーリー更新してないんだよね」と返した自分の声を聞いたとき、ぞくっとした。顔色が悪い原因の話をされているのに、SNSの話をしていた。
恋愛のふりをした「追跡」だったと気づいた日
彼のSNSパターンを無意識に暗記していた
更新の頻度、投稿する時間帯、よくいいねをする相手の顔。これらを意識して集めていたつもりはなかった。ただ毎日確認しているうちに、脳がその情報を保存していた。
これ、よく考えると結構怖い話だよね。
相手の行動を詳細に把握しているということは、それだけ頻繁に観察していたということ。観察という言葉を使ったけど、実態に近い言葉を使うなら「監視」に近い。悪意は全然なかったし、恋愛感情から来る行動だともわかっている。でも構造としては同じだった。
自分が相手にされたらどう感じるかと想像した瞬間、少し背筋が伸びた。
好意ではなく不安が原動力になっていた証拠
SNS恋愛依存の状態にある自分を振り返ったとき、行動の理由が「見たいから」ではなく「見ないと不安だから」に変わっていたタイミングがあった。
この二つは似ているようで全然違う。「見たいから」は欲求で、「見ないと不安だから」は回避行動。スマホを開く動機が欲求から回避に移行したとき、もうそれは恋愛の延長じゃなくて依存の状態に入っている。
わかりやすいのが確認しても満足しないという感覚。彼がストーリーを更新していて、内容も普通で、何も問題ないことを確認できた。なのに10分後にまた開く。確認できた事実より、また何か起きているかもしれないという不安の方が上回っているからそうなる。
恋愛の感情から来ているようで、実態は不安をコントロールしようとする行動。この認識を持てたのが、抜け出すための最初の一歩だったと今は思っている。
SNS恋愛依存が関係そのものを変質させていく理由
相手への「反応要求」が少しずつ増えていく構造
依存が深まると、相手のSNS上での行動に対して無意識に期待をかけるようになる。
自分のストーリーを見てほしい、いいねしてほしい、返信は早くしてほしい。これ自体は誰でも思うことだけど、依存している状態だとその期待が「満たされなかったときの不安」と直結してくる。期待が裏切られるたびに不安が生まれて、また確認するという流れができあがる。
相手からしたら、別に意図していないことが「冷たくされた」という受け取りになっていく。実際にそのすれ違いが原因で関係がギクシャクしたことが私にもある。「最近なんで返事が遅いの」と聞いたら「そんなこと気にしてたんだ」という反応が返ってきた。私の中では大問題だったのに、相手には認識すらなかった。
感情の判断をSNSに任せてしまっている状態
依存が進んだときの自分を振り返ると、自分の気分をSNSの情報から読み取ろうとしていた。
彼から既読無視が来るとその日は機嫌が悪い。いいねをしてくれた日は不思議と調子がいい。ストーリーを更新していない日はなんとなく不安なまま終わる。
自分の気分のスイッチが相手のSNSの行動にある状態。これに気づいたとき、頭がくらっとするような感覚があった。相手がSNSを何もしない日は、自分の感情が宙ぶらりんになる。自分の機嫌を自分でコントロールできていない。
感情の主導権を自分の外に置いてしまっている。一番正確な言い方がこれだと思う。
抜け出せなかった本当の理由を分析してみた
やめようと意識するほど余計に気になる逆説
「インスタを見るのやめよう」と思った日の確認回数が、一番多かったりする。
抑制しようとする意識そのものが、対象へのフォーカスを強めてしまう。シロクマのことを考えないようにしようとすると余計に浮かぶ、というのと同じ仕組みで、「SNSを見ないようにしよう」という意識がSNSという言葉を頭の中で強調し続けてしまう。
だから「見るな」という命令を自分に与えるより、「代わりに別のことをしよう」という方向転換の方が機能しやすい。禁止より置き換えの方が現実的なんだよね。
SNSを見ない時間がどこか「負けた感じ」になる
これ、なかなか人に言いにくい話なんだけど。
SNSを見ない時間が続くと、なぜか焦燥感に近いものが出てきていた。確認しないでいることへの、妙な罪悪感とでも言えばいいのか。「もしかして今何か起きていたらどうしよう」という感覚で、むずむずした感じが続く。
この感覚の正体は情報の欠落による不安なんだけど、それがさらに強化されると「見ない自分は負けている」みたいな感覚になる。相手が何かをして、自分だけが知らない状態に置かれることへの恐怖。
でも冷静に考えると、相手は特に何もしていないことの方が圧倒的に多い。自分が知らない間に起きた「何か」は、だいたい何でもない話だったりする。この事実に繰り返し気づくことが、あの焦燥感を少しずつ薄めていった。
実際に効いた抜け出し方を順番に書く
「開かなかった時間」を記録し始めた話
確認の頻度を減らそうとしたとき、最初にやったのが「最後にインスタを開いてからの時間」をメモするシンプルな方法。
「午後2時に見た」と記録する。次に見たくなったとき、時計を確認して「まだ30分しか経っていない」という事実を可視化する。たった30分しか経っていないのか、という発見が毎回あった。体感では2〜3時間経った気がしていたのに。
これが積み重なると「自分は思ったより頻繁に確認している」という現実認識が強まる。少し恥ずかしく感じられて、間隔を広げようというモチベーションになった。数値で見ることで、漠然とした依存感覚が具体的な行動として捉えられるようになった。
不安の感情に気づいたらスマホより先に体を動かす
SNSを確認したくなる衝動が来たとき、不安かなと自問して立ち止まる方法は以前も試した。でもそれだけだと、不安だと認識した後にスマホを開くという流れは変わらなかった。はぁ…なんか虚しかったな、あの繰り返しは。
変えたのが「不安を感じたらスマホを持つ前に体を動かす」という行動の置き換え。立ち上がる、水を飲む、窓を開ける、深呼吸する。とにかく「スマホを持つ前に何か別のことをする」というクッションを挟む。
これが機能した理由は、衝動と行動の間に物理的な動作が入ることで、「衝動が来たから行動する」という反射的なパターンが崩れるからだと思っている。スマホを取り出すという動作が自動的に起きなくなると、少しだけ主体性が戻ってくる。
「見る必要がある」と「ただ見たい」を分けて考える
スマホを開く前に毎回、これは必要な確認かしたいだけかを問うようにした。
必要な確認というのは、待ち合わせ場所の変更があったかもしれない、急な連絡が来ているかもしれない、という具体的な理由がある場合。したいだけというのは、不安を和らげたい、なんとなく気になる、という場合。
大半が後者だった。というか、必要な確認として開いた場合でも、ついでにストーリーを見て、いいねの状況を確認して、という行動が始まる。「ついで」の行動の方が本体になっていた。
この区別を意識するだけで、スマホを開く前に少し立ち止まれるようになった。
依存が終わった後に気づいたこと
相手を「信頼する」とはどういうことか
依存していたころの自分を振り返ると、相手のことを信頼できていなかったんだと思う。
信頼というのは「確認しなくても大丈夫」という感覚の土台になる。確認しないといられない状態は、裏を返せば確認しないと信じられない状態。相手を信じていると思っていたけど、行動としてはずっと証拠を集めていた。
SNS依存が薄まっていく過程で、確認せずに過ごした時間の後でも関係は何も変わっていないという経験を少しずつ積んでいった。確認しなくても世界は動いている。それが実感になってきたとき、信頼というのは確認の回数じゃなくて、確認しない時間を持てることだと気づいた。
また始まりそうになったときの早期サイン
抜け出した後でも、再び依存的な行動パターンに入りやすい状況がある。
関係に何かモヤがかかっているとき、相手の行動が読めないとき、不安な出来事があったとき。こういうタイミングで確認頻度が増え始める。それ自体は自然なことだと思う。
ただ、そのまま放置すると元の状態に戻っていく。私の場合、危ないサインとして気づきやすいのが「投稿内容を解読しようとしている自分」に気づくこと。あの彼のSNSパターンを暗記していた頃に近い感覚が戻ってきたとき、立ち止まるようにしている。
完全にゼロにする、というよりは「気づいて立ち止まれる自分」でいることの方が現実的だと今は思っている。依存していた時間があったからこそ、そのサインへの感度は経験のない人よりずっと高くなっている。それは逆に言えば武器でもある。

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